父の記憶、そして私の後悔
父がくも膜下出血で倒れた日から、私の人生は一変した。
経営者として家庭を支え、私に何不自由ない暮らしを与えてくれた父。
その姿は、私にとって「強さ」の象徴だった。
幼い頃から、父の背中を追いかけて育ち、
社会人になってからはその偉大さを改めて感じるようになった。
仕事の苦しさや責任を知るたびに、父がどれほどの重圧を背負ってきたのかを理解し、
尊敬の念が募った。
しかし、あの病気がすべてを変えてしまった。
くも膜下出血で倒れた後の父は、かつての強さを失い、介護が必要な日々が始まった。
最初は自宅での介護。仕事と介護の両立は想像を超える厳しさだった。
夜中に何度も起こされ、日中は仕事に追われる。
疲れ果てても、「家族だから」と自分に言い聞かせるしかなかった。
そして今年、とうとう施設に入ってもらう決断をした。
だが、施設生活が始まっても、事態は好転しなかった。
暴力や迷惑行為が続き、再び病院で検査を受けることに。
そして診断されたのは、「高次脳機能障害」だった。
医師の説明を聞きながら、頭では理解していたつもりでも、
現実を突きつけられると胸の奥が締めつけられた。
高次脳機能障害とは?
高次脳機能障害は、脳の損傷によって引き起こされる認知機能や行動の障害を指す。脳卒中や外傷性脳損傷、くも膜下出血などが原因で発症し、父の場合も後遺症が影響していた。
主な症状は以下の通りだ。
- 記憶障害:直前の出来事を忘れる、新しい情報を覚えられない。
- 注意障害:一つのことに集中できず、複数のことを同時に進めるのが難しい。
- 遂行機能障害:計画を立てたり、臨機応変に対応することが困難になる。
- 感情や行動のコントロールの困難さ:些細なことで怒り出したり、衝動的な行動をとることがある。
父の暴力や迷惑行為も、こうした障害の影響だったのだと、今になってようやく理解できた。
介護を通して感じた後悔と学び
父の症状が進むにつれ、日常生活は困難を極めた。
何度も同じ質問を繰り返し、些細なことで混乱する父に苛立ちを隠せなかった。
「なんで分からないの?」「どうして覚えていないの?」と責めてしまったこともある。
しかし、父自身がどれほど苦しんでいたのかを思うと、自分の未熟さが情けなくなる。
かつての父は、私の中で「完璧な人間」だった。
その父が弱り、私のことすら忘れてしまう姿を見るのは、何よりも辛かった。
そして最も後悔したのは、「できるときに親孝行しておけば良かった」という思いだ。
社会人生活の中で、父の介護を「言い訳」にして、自分の未熟さを正当化してきたことに気づくと、
悔しさと後悔が押し寄せる。
孤独な介護と向き合う強さ
父の親族は私しかいない。相談できる相手もおらず、孤独な介護は心を蝕んだ。
しかし、その孤独の中で、私は少しずつ学んでいった。
「完璧な家族でなくてもいい」「今できることを一つずつ、精一杯やることが大切だ」と。
父はもう、私を認識することはないかもしれない。
それでも、私がここにいるのは父のおかげだ。
その事実だけは、決して忘れてはいけないと思う。
父親の生きてきた人生や経験は私がこれからも受け継いでいきたい。
今からでも遅くない。後悔を糧に、少しずつ父にできることを続けていきたい。
そして、同じように高次脳機能障害に苦しむ人々や、その家族に寄り添える存在になりたいと思う。
孤独な戦いを続ける人たちに、「あなたは一人じゃない」と伝えたいから。
どうか一人で抱え込まずに助けを求めてください。
今生きているあなたの人生が何よりも大切です。
私がkindleで読んだ本になります。
高次機能障害との向き合い方やケアの仕方が書かれています。
↓
#世代継承性#就職活動 #人生相談 #高齢者 #若者 #時代
コメント