久しぶりに父の施設を訪れた。
忙しさにかまけて、足が遠のいていたが、ようやく時間を作ることができた。
しかし、再会の喜びは、私の中で儚く砕け散った。
「父さん、久しぶりに来たよ」
父の目は、私を見ているようで、どこか遠くを見つめていた。
名前を呼んでも、表情ひとつ変わらない。
嫌な予感がした。
何か言葉を発しようとするが、それはただの空気の振動にすぎなかった。
私はその場に立ち尽くし、喉の奥がぎゅっと締め付けられるのを感じた。
「父さん……」
「初めましてかな?」
父の口から発せられた言葉に、心臓を鷲掴みにされたような感覚がした。
こみ上げる涙を必死にこらえた。こんなに悲しいのに、泣くことすらできなかった。
私は、父との時間から逃げてしまった。
縁を切ることを選び、苗字を変え、現実から目を背け、一人にしてしまった。
それなのに、今になって後悔しても遅い。
最後に父と明確に会話をしたのは、
祖母が亡くなり、ひとりになった父の生活が困難になったときだった。
私はしばらく一緒に生活し、介護をしながら支え続けたが、やがて限界が来た。
父をだましだまし病院へ連れていき、「また見舞いに来るから」と言い放った。
父はどこか寂しそうに「分かった」とつぶやいた。それが、父と交わした最後のまともな会話だった。
それから高次機能障害が進行し、父の感情は怒りへと変わった。
面会に行こうとしても、拒絶される日々が続いた。
そして今日、久しぶりに許された面会。
しかし、目の前にいる父はもう私を知らない。
「つらいなら話を聞くよ」
ふいに、隣の部屋から穏やかな声がした。振り向くと、80代のFさんが微笑んでいた。
白髪混じりの髪、深い皺の刻まれた優しい表情。
まるで、すべてを受け止めるかのような眼差し。
「……ありがとうございます」
かすれた声でそう答え、私はFさんの隣に腰を下ろした。
そこで、抑えきれなくなった想いが溢れ出した。
「父とは、いろんな思い出があるんです。厳しい人でした。でも、本当は家族思いで……。
なのに、もう俺のことは覚えていない……」
嗚咽が漏れた。声が震えた。でも、Fさんは黙って、じっと聞いてくれた。
「人はね、記憶を失っても、大切な人のことは心の奥に残っているものさ。
たとえ言葉にならなくても、きっとどこかで君を感じているよ」
私は、はっとした。
たとえ私の名前を忘れても、私がここにいることは、心のどこかで伝わっているのかもしれない。
そのまま、私は『時代屋こあら日記』の活動について話した。
高齢者の物語を記録し、世代を超えて紡ぐこと。
その意義。そして、今日、自分が逆に話を聞いてもらっていることの不思議さ。
「素晴らしいことをしているね。君みたいな若い人が、私たちの話を聞いてくれるのは嬉しいよ。君のお父さんも、きっと誇りに思っているはずさ」
父は言葉を失ってしまったけれど、今も私の中に生き続けている。
綺麗ごとなのもわかっている。前に進むしかない。父も私も生きているから。
別れ際、Fさんは私の肩をぽんと叩き、にこりと微笑んだ。
「また話しにおいで。話すことで、救われることもあるからね」
私は静かにうなずき、施設を後にした。
父は私を忘れてしまった。
でも、私は父を忘れない。
そして、これからも、誰かの記憶や想いをつなぐために、この活動を続けていこう。
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